柳斎重春

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令支県(れいし-けん)は中華人民共和国河北省にかつて存在した県。

現在の遷安市西部に相当する。

秦朝により設置され、トライアルセット南北朝時代に北魏により廃止された。

滝川国広及び柳川重信の門人。姓は山口、名は安秀。

俗称は甚治郎。崎陽亭、玉柳斎、玉柳亭、烽山とも号す。

 

肥前国長崎鍛治町の両替商、CFD大島屋山口善右衛門の子として生まれた。

初め大坂の三津寺町に住んでいた。まず大坂で滝川国広に師事して梅丸斎国重と称し、

崎陽亭の号も使用した。

 

その後、柳川重信が文政5年(1822年)に大坂に上り、重信の門人に

なったといわれている。そして文政9年(1826年)春頃に柳斎重春と改名している。

 

浮世絵版画では、文政年間から役者絵の他に芝居看板絵、読本『忠孝二見浦』や

絵入根本「契情稚児淵」などの挿絵を遺しているが、肉筆浮世絵の作例は極めて

少ないものと思われる。特に嘉永2年(1849年)から嘉永3年(1850年)刊行の読本

『扶桑皇統記図会』13冊の挿絵は当時、大評判であったといわれている。

 

また肉筆浮世絵「竜虎紋様着衣太夫の図」は、師である柳川重信の作風に加え、

同じく上方の絵師である祇園井特や三畠上龍などと共通する表情が感じられる作品である。

着衣に描かれた竜虎の絵からは重春の画力の程が窺える。享年51。

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このページは、aaronyeltonが2010年7月27日 10:01に書いたブログ記事です。

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